名古屋市が開講した「まちコーディネーター養成講座」、通称マチコは、街や商店街を「育む人材」の育成をめざし、2021年に始まりました。
講座では、商店街の活性化に多方面から携わる複数の講師陣とともに、現地視察や話し合いを重ね、街を再生していくプランのプロセスやアプローチを学びました。2023年までに52名の修了生(まちコーディネーター)が誕生し、街に解き放たれたマチコたちは、街に変化をもたらしつつあるとのこと……。
一期生に続き、マチコ二期生(2022年夏に修了)の活躍も気になります。修了生が開店したという、「METSÄ(メッツァ)」という木のおもちゃ屋さんに集まり、それぞれの地域での現在の活動をうかがいました。
マチコ開講を知ったきっかけは、「喫茶モーニング」や「ニシヤマナガヤ」の訪問だった
今回集まってもらったマチコ二期生は3人。
小松由希子さんは、現在、東山動植物園と向かい合うビルの4階で、木のおもちゃ屋と設計事務所を開いています。原大登さんは名東区の西山商店街のそばに住み、「暮らせる図書館」の場づくりに関与。森下大成さんは、南区の柴田商店街の活性化に深く関わっています。
小松さんが2023年オープンした木のおもちゃ屋「METSÄ(メッツァ)」で。左から、小松さん、原さん、森下さん。
――それぞれ、まちコーディネーターの意識をもって一歩を踏み出されている様子ですが、もともとどんな問題意識がありましたか? マチコを受講しようと思ったきっかけは?
森下: 僕は、柴田商店街の近くにある大同大学で、建築を学んでいました。マチコに参加したときは大学院生で、2024年4月からは設計事務所に就職します。柴田商店街は、2021年の商店街オープンで二度目の対象になっていて、大学からいちばん近い商店街なのと、研究にもなるかもしれないと思い、参加しました。そのときに計画された店舗、「SHIBATerrace」の事業者に僕が手を挙げて、商店街の人と実際に事業をやっていくことに。そのためにもっと勉強する必要を感じて、マチコにも参加しました。
原: 私は名駅南で不動産業に従事していて、日頃から街の再開発に関心がありました。住んでいるのは名東区で、市内有数のマンモス校の西山小学校があります。そこに子どもや家族はたくさん住んでいるはずなのに、すぐ近くの西山商店街の人通りは少なくて、閉まっている店舗も多いのが気になっていました。「こんなに人がいるのに、もったいない。もっと商店街に人が集まって、活性化したらいいのに」と。マチコは、たまたま歩いていて「喫茶モーニング」というお店に入ったときにフライヤーを見て、「こんな講座があるんだ、おもしろそうだな」とピンときて申し込みました。
――「喫茶モーニング」は、商店街オープンで2018年に開いた店舗ですね。
原: それを全く知らなくて、たまたま駅西銀座通商店街を歩いていて、見つけたんですよ。
小松: 私はもともと全国規模の大きな設計事務所に所属していました。プロジェクトが大きいので、二人目の育休から復帰したあとのプロジェクトが終わったら退職して独立すると決めていて、辞める2年以上前から会社にも宣言していました。自宅近くで子育てしながら働くのが理想で、商店街にも興味はありました。独立後を見据えて、仕事や暮らしを模索していた頃、西山商店街の「ニシヤマナガヤ」の植村さんの設計事務所を訪問する機会があったんです。そこでマチコの募集ポスターを見て、植村さんから「ぜひ応募してください」って言われて。何か勉強したかったのと、新しいつながりも欲しかったので、その気持ちとマチコがフィットしました。
木のおもちゃ屋と建築家という、新しい生活をスタート
来店は1組ずつの予約制で、棚にあるおもちゃはすべて触って体験可能。訪れた親子との対話もしながら、実際に遊んでもらって、じっくり選んでほしいと考えている。
――小松さんはマチコを受講した翌年に、おもちゃ屋をオープンされましたね。いつからおもちゃ屋のことを考えていたのですか?
小松: 子どもと親が集まる場を作りたいという、漠然とした思いがありました。本当にできるのか、すぐにやるのかは具体的に決めていませんでしたが、マチコに参加したことで、自己紹介のときに「おもちゃ屋をやりたい」ということは、もう発言していたみたいです(笑) マチコを受講しながら、同期の皆さんにいろいろな相談もしました。
独立して、すぐに設計の仕事が多忙になるわけではないと思い、自分の気持ち的に「おもちゃ屋を始めてしまおう!そのほうが幸せだ」と感じて、すぐにやると決めました。
――通り沿いにお店は多くありますが、商店街ではないようです。この場所にお店を開いたいきさつは?
小松: 住んでいる近くで働くには、商店街の選択肢は限られています。それと、とにかく東山の森が好きで。この緑を見ながら仕事がしたい!という思いが強かったです。
この場所は、じつは募集を見て入居したのではなく、交渉して入った場所なんです(笑) 1階と2階にスニーカー屋さんが入っているので、そこに靴を買いに行って、大家さんにつないでもらいました。何でもやってみるものですね。
――そんないきさつがあったのですね。ショップの運営と、マチコ受講のあいだには、どんな接点がありますか?
小松: 「商店街で活動している人とつながりができた」ということは、私の中では大きなことです。たとえば、私も、私の夫もデザイナーなので、ゆくゆくは積み木などのおもちゃ開発もしてみたいと思っています。自分自身はいま商店街にいるわけではありませんが、商店街のいろいろなスキルを持つ方と一緒にやっていける未来が描けるのは心強いです。
マチコでは、「ひらめいたことを実際にやってみた」という事例をたくさん知れたのがよかったです。私もやってみようかな、とりあえずやってみよう。それで失敗してから、考えればいいか、みたいな……。おもちゃ屋オープンを加速させられたのは、ありますね。
大人も子どもも集まり、一緒に遊べるボードゲーム部を立ち上げた
――原さんが、いま取り組んでいることを聞かせてください。
原: マチコ受講後に、西山商店街で「暮らせる図書館」という私設図書館がちょうどオープンしました。そこは図書館といっても商店街の中の一室で、集まって本を読むような居場所です。私はそこで「ボードゲーム部」という部活動を立ち上げて、月に1回、大人も子どももできるボードゲームやトランプなどで遊ぶ場を作っています。
マチコを受講してみて、地元の人たちが集まって交流できる場があることは、すごく大事だと感じました。もともと受講するきっかけに、西山商店街で何かやりたいという気持ちはあったのですが、チームメンバーとマチコの課題に取り組んでいくうちに、「西山商店街はもっと活性化させられる、それを自分もやりたい」と、はっきりした思いが固まっていったのが良かったです。
西山商店街の「ニシヤマナガヤ」は知っていましたが、運営する植村さんにマチコの受講中に知り合えたことも大きかったです。
「こどもからおとなまで!どなたでも入部(参加)できます」と書き添えた告知画像。
「暮らせる図書館」内でのボードゲーム部の活動風景。(写真提供/原さん)
――始めたのがボードゲーム部だったのは、なぜですか?
原: 大人も子どもも、天気も関係なく、行けば誰かいて一緒に遊べる場所がいいと思い、自分も子どもとかるたやドンジャラで遊ぶことがあるので、楽しいと思ったのです。
「暮らせる図書館」の前にポスターを貼って、最初は小さくスタートしたのですが、近所にボードゲームデザイナーという人が住んでいて、その人がたまたまポスターを見て「僕も参加したいです」と申し出てくれました。その人は、ボードゲームを設計して賞を取ったり、大学で講義したりするくらいの人で。今は毎回参加してくれて、めずらしいボードゲームも持ってきてくれたりするので、盛り上がっています(笑)
――そんな偶然があるんですね。びっくりです!
原: その後、「暮らせる図書館」で部活動を立ち上げる流れが続いてくれて、今は編み物部とか、キッチンもあるので麹部、発酵部など、自分もやりたいと思った人が活動を広げてくれてもいます。
大学、教員、学生を巻き込んで、どう商店街を活性化させるか
――森下さんは、野菜を販売していると聞いたのですが…?
森下: 柴田商店街で「SHIBATerrace」という大きなスペースを運営することになったのですが、その開始まで時間があったので、何か商店街の人と一緒にやってみようと思い、月に一度マルシェをすることにしました。商店街からは副理事長の方が関わってくれて、他は僕たち大学生のグループですべて運営し、仕入れ、販売、値段決めまで、課題があろうが何だろうが、頑張ってやってきました。利益を出すまではできていませんが、ちゃんと売り切っています。
「SHIBATerrace」の場を利用したマルシェの様子。(写真提供/森下さん)
――「SHIBATerrace」では今後どんな動きがありますか?
森下: 「SHIBATerrace」で春からやっていくことは、レンタルルーム事業と、大同大学の交流拠点、サテライトキャンパス的なものです。レンタル事業のほうの運営は商店街が担うことになり、拠点づくりのほうはまだ模索しているところです。1月初旬には、スペースの利用実験で、映画鑑賞会をしてみました。「ニシヤマナガヤ」や「暮らせる図書館」みたいに、いろいろな居場所づくりができたら。柴田商店街の場合は、大学との協力関係も重要な要素だと思っています。
――マチコでの学びは、「SHIBATerrace」の運営につながりそうですか?
森下: 僕は今25歳で、そんなに人間関係が広くもなく、マチコで話をうかがった講師の方々の状況を自分に展開するのは現実的に難しかったです。ただ参加したことはとても良かったと思っていて、とくに一緒に学んだ参加メンバーとの出会いがいちばん糧になりました。何人かは修了後もつながりがあって、商店街の事業をするときにコンサルのように相談に乗ってくれたり、おもしろい活動をしている人の存在が、刺激になったりもしました。マチコでの人のつながりが、自分の活動範囲を広げていってくれたという実感があります。
これは僕の研究テーマでもあるのですが、柴田商店街の場合は、大学に近いことが大きな特徴なので、もっと大学を巻き込んで活性化できるように働きかける予定です。
自分の街が、前よりももっと好きになれた
――原さんは、活動してみて、どんな気付きがありましたか? 今後の展望は?
原: 私は実際に活動してみて、いろんな人、家族が来てくれるのですが、今まで知らない同士だったけれど、すごく近所に住んでいる人だったり、じつはマンションの同じフロアで生活している人だったりする……という交流を目の当たりにできたのが嬉しくて。先ほどのボードゲームデザイナーの話も、まさかそんな人が近所にいるなんて全然思っておらず、活動しなければ絶対に知り得なかったことです。そうやって顔が見えるようになり、自分の街がもっと好きになりました。
せっかくボードゲームデザイナーというクリエイティブな才能があるので、商店街で謎解きをするようなリアルボードゲームができたらおもしろいな、とか夢も広がっています。「どこどこの珈琲屋さんに行って、あれを注文するとヒントが教えてもらえる」みたいな。そういう地域活性化の方法もあるかもしれません。
――小松さんは、建築家の目線で通りのデザインをしていきたいとか、街への意識も持たれているのですか?
小松: この通りは、おしゃれなカフェや本屋さんなど、お店はちらほらあります。商店街があってもおかしくないかもしれませんね。
――商店街があると、横のつながりが生まれて、たとえば東山動植物園のイベントと連動するなどの個人ではできないようなことが、できるようになるかもしれないですね。
小松: 商店街をつくっちゃう? そんなことも現実にできるかもしれません!
原: 東山と西山は、対になっている地域なので、ぜひ西山商店街と連携しませんか(笑) 一緒に企画しましょう!
窓から見える東山動植物園の緑が印象的な、小松さんのおもちゃ屋さん
インタビューの話の中からも、新たなまちづくりのアイデアがわいてきて盛り上がる、まちコーディネーター二期生のみなさん。「まちコーディネーター養成講座」を巣立っても、メンバー同士のつながりが深化し、さらに新しい出会いや挑戦に続いていくことを期待しています!
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